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大滝ダム完成への道のり

環境、景観に配慮した、大迫力のスケールに圧倒環境、景観に配慮した、大迫力のスケールに圧倒

計画から半世紀、地図にも歴史にも残るプロジェクト

奈良県吉野の山深い地、奈良県吉野郡川上村に美しく雄大にそびえる高さ100mの「大滝ダム」は、紀の川の「治水」「利水」「発電」のために計画された多目的ダム。ダム周辺の自然環境に配慮した設備仕様で、地域の意見を取り入れた外観・景観設計となっている。ダム建設事業に着手した1983年(昭和58年)頃から、その事業監理全般に深く関わってきたのが日本振興だ。ダムづくりに打ち込んだ技術者たちの当時に迫ってみたい。

執行役員
大阪支店 支店長
H.IKEBE

「弱冠27歳で我が社の技術者20数名をまとめるリーダーという大役に抜擢、3年かけてダム事業のスペシャリストを集めました」

業務統括本部 課長
T.EGASHIRA

「入社7年目に大滝ダムに異動となり、初めてのダム積算を経験。プロジェクトの規模に驚くと同時に、やっていけるかという不安もよぎりました」

大阪支店 技術課 係長
S.OKAHISA

「駆け出しの入社5年目で担当技術者として従事。事業者や先輩の仕事ぶりを盗もうと現場での打ち合わせなどには必ず同行しました」

大滝ダムの歴史

大滝ダムの概要

きっかけは
伊勢湾台風による甚大な被害

1959年(昭和34年)、伊勢湾台風が紀の川流域を襲い、多くの死傷者が出るなど周辺は甚大な被害をこうむった。そこで、大型台風などで予測される大洪水に備え、紀の川へ流れ込む水量を調節して下流に安全な量の水を流す多目的ダムの建設が急がれることになる。それこそが水道水・工業用水などの利水のほか水力発電もまかなう大滝ダムだ。1965年(昭和40年)に着手したものの、完成間近の地すべりなど、多くの困難に見舞われることになるとは知る由もなかった。

社運を賭けて
多目的ダムの事業監理を担う

長期化ダムとして知られているだけに日本振興の技術者も延べ人数で相当な数にのぼる。当初携わった先輩方はすでに定年退職を迎えている。今回お話を伺ったのは、ダム本体工事にとりかかる直前の1996年(平成8年)以降から、同時期に現場を支えた3人の技術者。「工事費を算出するための積算業務と工事の品質や工程管理などを監督する業務を請け負っていました。みんなで団結してチームで取り組むのがダム建設の醍醐味ですから」(H.IKEBE)。「毎日現場に行って夜遅くまで書類を作成。そのくり返しでした」(S.OKAHISA)と当時を振り返る。

時間がない!
とはいえ見落としは絶対禁物

ダム本体のコンクリートを打設する時、ダム内部に構造物(通路やエレベーターなど)がいろいろ入ってくるため、図面の整合性を確認するのにかなりの手間がかかる。発注者の指示により、設計者から上がってきた図面をすぐに現場でチェック。積算部門に戻し、積算の技術者が事業者や設計者とやりとりを行うという進行が短時間に繰り返されることになる。「見落としがあれば大きな問題になるという緊張感から、精神的にキツかった。自分に実力がないぶん、人の倍働いて知識を身につけました」(H.IKEBE)と苦笑する。

いかなる困難に直面しても
建設的な提案を

大滝ダム建設では下から順にいくつかの工事に分けて発注されるため、建設中の工事が完了すると同時に次の工事が発注されるという流れになっていた。「次から次へと仕事をこなしていくことで、ダム積算の技術を習得。現場は課題だらけでしたがネガティブに考えてしまうと進みません。あきらめず、こうしたらできるという建設的な提案をしていくことが大事だと学びました」(T.EGASHIRA)とかみしめるように話す。事業者の職員と毎日顔を合わせるうちに何でも話し合える一体感が芽生えていた。だからこそ建設的な意見を交わすことができたのだろう。

台風による越流、
完成を目前にした地すべり…

ダム工事現場を流れる紀の川(吉野川)本川を堰き止めて迂回させるために上流に造った締め切りが台風による増水に耐えきれず、ダム工事現場まで押し寄せて現場がめちゃくちゃに。「『一生懸命つくってきたのに』と肩を落とすことがありましたよ。」(S.OKAHISA)。また、ダム本体の工事が完了し、試験湛水中に貯水池の斜面に亀裂が発見され試験湛水は中断に。6年の歳月を費やし恒久的な地すべり対策工事を行い、努力の結果、安全を確保した上で試験湛水を再開した。

大滝ダムが堂々完成!

難工事の末、1963年に完成した黒部川第四発電所ダム(通称「黒四ダム」)。 その黒四ダム建設で活躍したケーブルクレーンが、大滝ダム建設でも使われていました。ダム堤体のコンクリート打設や資材運搬など、黒四ダム建設から大滝ダム建設へと、時代を超えて活躍しました。

「ダムは人が造る一番大きな構造物です。圧倒的な大きさこそ、ダムの魅力であると思います。先人から受け継ぎ、そして次世代に受け継がれていくダム事業はスケールの大きな仕事です。ダムの魅力はけして一言で語れるものではありません。ぜび!自分の目で!耳で!体で感じて下さい」(S.OKAHISA)と語る。

いくつもの困難もものともせず、2013年(平成25年)、計画から半世紀を経て大滝ダムが堂々完成!それぞれに思い出深い現場となったことは言うまでもない。

「仕事が大変でも楽しかった。つらい、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。ダム屋(技術者)を目指して研鑽できたし、この事業に携われたことを誇りに感じています。(H.IKEBE)

「当時の大滝ダムの仲間とは今でもつきあいをしており、全国のダムで活躍しています。
ダム建設は規模が大きく、道路・橋梁・トンネル・河川等、いろんな工事を経験出来ます。自分を磨く場としてうってつけです。(S.OKAHISA)

「一般的な土木の工事積算に比べ、ダム積算は特殊な仕事と言えるでしょう。慣れてくると、時間のかかる積算業務をつらいと思わなくなりました。自分のキャリアの中で自慢できる仕事です」(T.EGASHIRA)

大滝ダム工事事務所は
2003(平成15)年に閉鎖し、
現在は管理事務所に移管している。
当時の話にいきいきと目を輝かせる
3人のベテラン技術者たち。
大滝ダムのプロジェクトが一人ひとりを
大きく成長させたことは確かである。

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